故郷七十年 (講談社学術文庫)本ダウンロード

故郷七十年 (講談社学術文庫)

07/08/2020 09:42:15, , 柳田 國男

故郷七十年 (講談社学術文庫) は 柳田 國男 によって作成されました 各コピー1540で販売されました. Le livre publié par manufacturer. Il contient 512ページ pages et classé dans le genre genre. Ce livre a une bonne réponse du lecteur, il a la cote 4 des lecteurs 4. Inscrivez-vous maintenant pour accéder à des milliers de livres disponibles pour téléchargement gratuit. L'inscription était gratuite.
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故郷七十年 (講談社学術文庫)本ダウンロード - 内容紹介 創立60周年を迎えるにあたって神戸新聞社は、兵庫県出身で82歳の柳田國男に回顧談を求めた。柳田はこれを快諾、25回にわたって聞き書きがおこなわれ、200回にわたる連載記事「故郷七十年」に結実した。一回の談話は3時間、長いときで5時間に及んだという。本書は近代日本の知識人の自己形成の物語、明治文学史の重要な一部、民俗学の誕生を語るもの。数ある自伝、回顧録のなかの白眉を文庫本でお届けする。昭和32年(1957)、神戸新聞社は翌年の創立60周年を迎えるにあたって、兵庫県出身で82歳の柳田國男に回顧談を求めました。柳田はこれを快諾、25回にわたって聞き書きがおこなわれ、200回にわたる連載記事に結実しました。一回の談話は3時間、長いときで5時間に及んだといいます。起筆の言葉にいわく、「神戸新聞は今年満六十年を迎えるという話である。人間でいえば還暦というわけであろう。ところが初めて私が生れ故郷の播州を出て関東に移ったのは、それより十年以上も古い昔のことであった。それから私の心身がだんだん育って行くにつれ、私の眼が全国的に拡がり、世界中のことにも関心を引かれるようになったことに不思議はない。しかしそれでも幼い日の私と、その私をめぐる周囲の動きとは八十余歳の今もなおまざまざと記憶に留って消えることはない。いつかそのころに筆を起し私自身の足跡とその背景を記憶するならば、或いは同時代の人たちにも、またもっと若い世代の人たちにも、何か為になるのではないかというのが、かねてから私の宿志であった。 幸いに時が熟したので、神戸新聞の要請をいれ、ここに『故郷七十年』を連載することにした。それは単なる郷愁や回顧の物語に終るものでないことをお約束しておきたい」 その言葉どおり、本書は近代日本の知識人の自己形成の物語、明治文学史の重要な一部、民俗学の誕生を語るものとなりました。数ある自伝、回顧録のなかの白眉を文庫本でお届けします。 内容(「BOOK」データベースより) 昭和三十二年(一九五七)、齢八十をこえて神戸新聞社に回顧談を求められた碩学はこう述べた。「それは単なる郷愁や回顧の物語に終るものでないことをお約束しておきたい」。故郷播州と利根川のほとり、親族や官途のこと、詩文から民俗学へ…。その言葉に違わず、比類ない自己形成の物語が残された。近代日本人の自伝の白眉。 著者について 柳田 國男柳田國男(やなぎた くにお)日本民俗学の創始者(1875~1962)。兵庫県神東郡田原村辻川(現・神崎郡福崎町)に生まれ、幼少期を茨城県布佐、千葉県布川で過ごす。東京帝大法科大学政治科卒業後、農商務省に入省。法制局参事官・宮内書記官等を経て貴族院書記官長を最後に官界を辞す。朝日新聞社客員、論説委員。国際連盟委任統治委員会委員としてジュネーブ在勤。1910年新渡戸稲造、石黒忠篤らと郷土研究の郷土会を結成、1913年「郷土研究」を発行。「遠野物語」「山の人生」「「木綿以前の事」「不幸なる芸術」「海上の道」など著書多数。1951年文化勲章受章。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 柳田/國男 日本民俗学の創始者(1875~1962)。兵庫県神東郡田原村辻川(現神崎郡福崎町)に生まれ、幼少期を茨城県布川、千葉県布佐で過ごす。東京帝大法科大学政治科卒業後、農商務省に入省。諸官を歴任したのち貴族院書記官長を最後に官界を辞す。朝日新聞社客員、論説委員。国際連盟委任統治委員会委員としてジュネーブ在勤。1910年郷土会を結成、1913年『郷土研究』を発行。1951年文化勲章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る故郷七十年 (講談社学術文庫)を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
小林秀雄が読み取ったように、柳田國男の学問の方法とは、自らが体験した歴史を見つめる事によって真理に至るというものであった。現代(音楽、ポップカルチャー、経営etc)に置いて、自らが寄って立つ歴史/伝統/文化を省みないものがいかに多いものか。以下、解説部分を引用p.502 そして、そのような感受性、すなわち近代科学の方法論とは異なる、自己の体験に根差した知のありようこそが、柳田の民俗学を支えた秘密なのだと言うのである。このとき小林は、柳田を介して近代の向こう側にある知のありかたの痕跡を確かに探り当てている。この講演では『山の人生』や『遠野物語』に記されたエピソードが続いて紹介されているが、そこには近代科学の実証主義を相対化し、人間の悟性を尊重する意図が明確に示されているのである。
によって 柳田 國男
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